連が崩壊してからロシアと呼ぶようになったのは1990年前後。
この画像は1985~1986と思われるが、自分は港湾運送の会社に勤務してた関係当時はソ連から大量の木材が輸入されており直江津港も多いときは年間60万M3程が陸揚げされてた。 毎日埠頭には2~3船が接岸してた。
自分の業務は毎日のようにソ連を訪問して船長または一等航海士との打ち合わせだった。 最初の画像は地元の木材輸入業者を連れてソ連船を表敬訪問。
船内ではロシア料理と飲食の接待をける。
ここで当時の懐かしい写真。
サハリン船舶公団のキレンスク号ワニノ港から木材4000M3ほど積んで入港。
輸入業者が木材を下見したいと船にお願いしたら快く一等航海士が案内してくれた。
女性の一等航海士だったが次に直江津港に入港するときは船長になっているとの話だったが。
まさしく船長になっていた。
キレンスク号アレクサンドローバさんの服装が下の写真と次の服装が違うのは下のは入港の当日
自分も毎日訪問してたのが判る。